図書館で借りてよかった本

こういう記事を読むとき、みんな正直に自分が本気でよかったと思う本を紹介するのだろうかとよく思う。どんな人でも読んでよかった本を上から順に百冊並べれば、上位五冊くらいは誰にも教えたくないくらいにいい本で、実際に誰にも教えないのではないだろうか。そしてその秘密を抱えることができる優越感にほくそ笑むと同時、そのくらいの本に出会えた自らの幸運に一人きりで浸るのでは?

特に本編とは関係のない前置きが長くなってしまった。
この記事の目的は、未来の自分が読んだときに「なんか過去の自分面白そうな本を読んでるなあ」と羨ましがらせることであり、誰かに勧める意図は特にありません。とはいえ誰かの興味と重なったらそれはそれ。とても嬉しいです。また、筆者はどちらかといえば小説は買う派なために図書館で借りる本は小説以外の本が多いです。
これらの理由で選書が非常に偏っていることははじめに断っておきます。

美しい日本のくせ字

他人の字が好きだ。冗談みたいに一定に右下がりの字を書く友人がいて、あまりに芸術的だったので感動したことがある。そういう強烈な印象を持つ字をたくさん見ることができる本なので、つまるところ、最高である。

定規を使って書かれた字(事務員Gさんが呼ばれてて不思議に思ったらそりゃ呼ばれるよなみたいな書き方だった)、印刷したみたいに整った字。少女漫画家の独特に垢抜けた字。何かしら字にわくわくするところがあれば琴線に触れるところがある。

女子高生の書く文字の変遷を調べるために、喫茶店の連絡ノート(?)を調査しているのもよかった。まるで一人が書いているような均一さを持ったグラデーションで変化していたので、空恐ろしいまでもあった。

世界の路地裏100

青い空、青い海、白い壁、実るオレンジみたいな風景が好きだ。確かそんな風景を期待して借りたのだけれど、あまりなかったように思う。その代わり、好きな風景が増えた。そんな本だった。

印象的だったのは路地の突き当りがそのまま船着き場になっている写真。日常的に使う船の船着き場なのか、玄関くらいのスペースしかなく、建物と建物の間には洗濯物が掛かっていた(ような気がする)。非日常と日常が共存していてよかった。そこに住む人にとっては日常なんだろうけど。

定形ではなく縦長なのがこの写真集をいいものにしていた。路地裏といえば空まで映したいよな。作った人の気持ちがよくわかる。

「ついやってしまう」体験のつくりかた-人を動かす「直感・驚き・物語」のしくみ 元・任天堂企画開発者の発想法-

勉強や仕事をゲーム感覚でできればいいなと全人類は一度は思うはずで、例に漏れず思ってしまったので、任天堂に聞くか……と借りた本。読後、ゲームであれば人間やりたくなるというわけではなくて、裏でこんなにも考えられているゲームだからこそ人間がやりたくなるのだな……とゲーム会社の努力を思い、申し訳なくなった。

マリオが「左から右へ」動くことでゲームが進行するということを伝える必要があるという段で、実際にゲームをしたときを思い出すと、伝えられたという感覚もなく無意識に理解していたことの驚きといったらない。情報伝達の巧みさに舌を巻くことが多かった。

物語の仕組みのパートでは、「あれ開発者の趣味とかじゃなくて戦略的に組み込まれてたものだったのか」みたいな発見があった。本当にゲームは楽しく夢中になるためによくできている。

もういちど透明水彩を始めよう。-基本12レッスン-

表紙の作品を見て薄々わかっていたけれど、ページを捲るごとにふつうに講師の方の絵が上手すぎると唸ることになる本。最初の方にある卵のメイキングにて、卵の中の鈍くぼんやりとした光の拡散ぐあいに感動した。人生で意識したことがなかった美しさだったので。

こんな具合に透明水彩で描くことそっちのけで作例の見事さに感動していたら、返却期限が来てメイキングをなぞることもしなかった記憶がある。そして画集を借りた記憶がある。

メメンとモリ

ヨシタケシンスケの公式サイトもめっちゃいいことに気付いた

ヨシタケシンスケはいい。いいんですよ。選択肢の幅を広げる意味での想像力を持たせてくれる絵本作家だと思う。お前にヨシタケシンスケの何がわかるって言われると言葉に詰まるけど!

溶けかけの汚い雪だるまの話がとりわけ心に残っている。ちょっとネタバレになるんですが、汚い雪だるまが生まれ変わったら、汚い雪だるまを愛する人に生まれ変わるのに、と生まれ変わりを願うところ。

論理を通そうとすると難しいのではっきりとは書きませんが、この話の雪だるまに人間を落とし込むと、自分の汚いところ(優れていないところ)も愛せるんじゃないかと思える希望がある。そしてラストであるように、来世を待たずに今世で、思いがけない形で。

キリンに雷が落ちてどうする&絶叫委員会-天使的な言葉たちについての考察-

読み比べると面白かったエッセイ(とくに公式に関係があるというわけではない、多分)。ダ・ヴィンチ・恐山は作家とライター、穂村弘は歌人としての考え方の違いがモロに出てて面白かった。

どっちも取り扱う題材は日常の些細な(あるいは深遠なテーマにつながる)ひっかかり。たとえば美容室で「かゆいところございませんか」に「ありません」以外に選択肢はほぼないのだから訊く意味あるんかい、みたいな。

恐山のエッセイは伝わりにくいことを言葉を尽くして(たとえ伝わらないにせよ)なるべく正確に伝わるようにする意思が感じられるのに対して、穂村のエッセイは伝わりにくいことをそのまま書いて読者の想像力で各々言いたいことはわかるでしょ・補ってくれ、みたいな意思を感じた。

別にどっちのスタンスがいいとかはないし、どっちも面白い。本を開いたときの字組みにすら二人の違いがあるように思える。
穂村の方が手垢のついた話題を取り扱っているように思えるが、およそ十年前の発行なので多分この人が最初期に気付いて言い出したことなんだろうな……と思っている。


次は「味の美学」を借りようかなと考えている。特にお菓子作りにハマっているというわけではないけれど、有名パティスリーのレシピのみならず、シェフの弟子に対する接し方まで知ることができるらしい。おもしろすぎる。